多様性あるいは多層性について
組織・場所・道具・材料・運営を通して

家成俊勝先生(空間演出デザイン学科教授・建築家)

北加賀屋「千鳥文化」(写真:Yoshiro Masuda、http://www.chishimatochi.info/found/920-2/)

価値観が多様化する社会のなかで、国籍やジェンダー、障がいなど、さまざまな背景を持つ人々の想いや考えを製品やサービスのデザインに取り入れていく「多様性の視点」が注目されています。家成俊勝先生は、早くから建築においてさまざまな立場の人を巻き込む「超並列設計プロセス」を実践し、近年は地域住民と共創するコミュニティづくりにも取り組まれてきました。今回は先生のこれまでの活動や思考を例に、地域社会における多様性の実践についてご講義いただきました。


被災経験が、僕の建築のベースになった

 皆さんも既に知っているとは思いますが、「多様性(ダイバーシティ)」とは、「異なる性質の存在が幅広く存在する」ことを表します。例えば、生態系における生物多様性の問題がありますし、人種の多様性といえば、白人も黒人もアジア系も、お互いの存在を尊重し、理解し合うことを意味します。デザインの文脈では、多様に存在するユーザーの意見を、どのように取り込んでいくべきかという議論が行われています。

 僕自身が多様性について考えるきっかけとなったのは、阪神・淡路大震災です。僕は神戸市灘区の出身で、1995年、20歳の大学生の時に被災しました。山の手にあった実家は倒壊こそ免れましたが、家屋の全壊判定を受けました。震災直後の街は、阪急線の高架が横倒しになったり、完全にクラッシュした状態。ほうぼうで火事が起きていて、道端では心臓マッサージをしている人がいて、瓦礫で道路と歩道の区別もなくなっていた。目をそむけたくなるほどの惨状から、僕らの復興に向けた生活が始まったのですが、一方でたくさんの希望にも出合いました。

 近所の五叉路では、地元のおじさんが手信号で車をさばいてくれていたし、信号がない幹線道路は渋滞していたけれど、僕は大きな交通事故が起きた場面に出合わなかった。プロパンガスを使っていた友人の家は、ガスが出る限りは地域のみんなでお風呂を共有していた。食料を最初に配ってくれたのは自衛隊ではなく、神戸に本部がある指定暴力団の本部でした。こんな悲惨な状態の中でも、地域の人々はお互いに助け合い、その日の生活のルールを作り、自分たちの手で暮らしを構築していたんです。

 僕は後に建築家になりましたが、この時の経験が活動や考え方のベースになっています。つまり、一方的に建築家やデザイナーがモノを作って「これを使え」というのではなく、常に使い手の人々と一緒に考えて、ものや家、街を「一緒に作っていく仕組み」を模索し続けています。

「ボトムアップ」の建築を目指して

 僕が考える建築とは、建築家がヒエラルキーの上に立ち、トップダウン方式で構造家や施工会社、大工が形にしていく従来のものではありません。それぞれの立場のプロフェッショナル、そしてユーザー(住まい手)が同時にものを考え、互いの意見を交換しながら、ボトムアップ式で良いものを作っていく方法です。社会においても同じではないかと思っています。ひとりひとりが持っている特異性を平準化せず、ネットワークのように繋ぎ、「協力」と「調整」をたゆまず繰り返すことで、新しい価値づくりをドライブできるのではないだろうか?そんな水平的・脱中心的な思考でものづくりを考えています。

 こうした考えは建築に限らず、さまざまな場所で実践されています。例えば、アメリカN.Y.では2011年に、リーマン・ショックによる金融危機で職を失った若者たちが経済界・政界に対する抗議運動「OccupyWallStreet(ウォール街を占拠せよ)」を巻き起こしました。驚くことにこの運動では、集会に集まった何千人もの参加者全員の合議によって、活動方針や政府への請願内容が決定されていました。いわゆる直接民主制です。集会で少数意見も丁寧に拾い上げていくため、参加者がサインやジェスチャーで意見を伝えられるような仕組みも開発されました(最後はうまく機能せず、分解してしまいましたが)。

「Occupy Wall Street」活動の様子。活動拠点の公園に集まる若者たち
(By David Shankbone – Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16542613)
集会では遠くまで発言が聞こえるよう、発言を大声でリレーする「 人間拡声器」の手法が使われた
(By David Shankbone – Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16834824)

 高知県窪川町(現・四万十町)では、原子力発電所の設置計画で、町民が推進派と反対派の真っ二つに分かれている緊張状態の中で、大規模な農地開発の公共事業(ほ場整備)を成功させました。これは、原発とほ場の議論を切り分けて、別の共同体の中で考えたことによる結果です。合意のプロセスも興味深く、例えばリーダー格の人があえて水はけの悪い土地を選ぶなど、地域の発展のために町民みんなが少しずつ損をしながら、妥協点を見出しました。

 僕らは「地域」や「村」と聞いたときに、なんとなく結束力が固いひとつの共同体を想像してしまいがちですが、実際はさまざまな共同体が併存しています。日常的に支え合う集落があり、道や山を管理する集落の連合体があり、その上に行政村がある。一方でお寺の檀家、神社の氏子による共同体もある。異なるレイヤーでさまざまな共同体が積み重なったなかに、人びとの暮らしがあるのです。このような共同体のありようを、哲学者の内山節氏は「多層的共同体」と呼んでいます。人は、いろんな立場や共同体に属しながら生きている。それをどのように取り扱っていくかが、多様性を考える上で大切だと思います。

社会的包摂から、自治の時代へ

 多様性における議論では、「社会的包摂」についても語られます。社会的に弱い立場にある人々も含め、誰も共同体から排除や孤立することがないよう、(地域)社会の一員として取り込み、支え合うことを言います。その反対は「社会的排除」。いじめや失業など、何らかの原因で学校、家庭、職場などの安定した所属が失われ、社会から排除された状態にあることを言います。

 社会的排除に対して、包摂や社会政策ではなく「自治・自律」という新発想で社会との新しい関わり方を実現した例に、1970年代イタリアで始まった「社会センター」があります。主に失業によって社会から排除された若者たち自身は、自分たちの力で生きていくための新しい空間を作り出しました。主に使われた場所は空家・廃屋となった公的建造物や工場。これをスクウォッテイング(無断占拠)し、自主管理・運営がされました。そこではラディカルな映画の上映が行われたり、カフェや「インフォショップ」呼ばれる地域やカルチャーの最新情報が集まるメディアショップが運営されたり、護身レッスン、語学研修、移民・庇護申請、難民への支援なども行われ、他のヨーロッパの都市にも広がりました。

イタリア・ミラノにおける社会センター(提供:櫻田和也)

開かれた社会を作る道具のあり方

 社会センターのように、自分たちの手で場所を作り、運用していくときに「道具の問題」と直面します。普通は、立派な道具や機械がないと、場所も作れないし、壊れたものの修理もできないと考えますが、本当に何もできないのでしょうか?こういう状況のときに僕が参考にしているのが、現代産業社会批判で知られるオーストリアの哲学者・社会評論家、イヴァン・イリイチが『コンヴィヴィアリティのための道具』という本で提唱した考え方です。コンヴィヴィアリティとは「自立共生」とも訳されます。 効率を求めて高度に発達し、大量のエネルギーを要する大型機械によって営まれる現代産業社会では、私たちの自律性が失われ、一人ひとりの特異性は考慮されません。そうした社会よりも、例えばハンマーやポケットナイフ、のこぎりなど、誰でも使える簡単な道具こそが人間の自由の範囲を拡大し、生き生きと創造的な仕事を生み出すことができる、こうした道具を生かす社会こそが、理想的な開かれた状態だと彼は語っています。 

 キューバの事例も紹介します。1992年にキューバ軍によって『CONNUESTROSPROPIOSESFUERZOS』という本が発刊され、国民に配られましたが。訳すと「withourownefforts(自助努力によって)」。内容は、アルミのお皿を改造して、衛星放送の受信アンテナに変えたり、自転車にペットボトルで作ったガソリンタンクを搭載し小型バイクを作るなど、日用の道具を修理したり再利用することで、人々の暮らしを豊かにする民衆の知恵を集約した本です。

書籍『CON NUESTROS PROPIOS ESFUERZOS』(出典:http://cubamaterial.com)

 1959年に社会主義国家になり、アメリカと国交断絶したキューバは、アメリカの技術者が引き揚げてしまったため、産業が停滞してしまった。そこで、自ら生活道具を作る状況に追い込まれたわけですが、この発想はイリイチが語る開かれた道具と同じだと思いませんか? 身近なもので暮らしを豊かにできる好例だと僕は思います。

大阪・北加賀屋における地域活性

 僕が建築を通して取り組んできた地域活性化、コミュニティづくりの実例も紹介しましょう。ひとつは、大阪市住之江区の北加賀屋におけるプロジェクトです。この地域は昭和初期から造船業で栄え、1960年代には2万人以上が働いていた一大工業地域でした。しかし、生産拠点が他地域に移ると衰退。住之江区の現状は、総家屋数68,300戸のうち、6分の1の11,000戸が空き家となっています。

一方、65歳以上の単独世帯は約9,365人。今後さらに空き家が増えることが予測されています。 この状況を危惧し、2009年に「北加賀屋クリエイティブビレッジ」を掲げ、地域の再開発を始めたのが千島土地という地元の不動産会社。ボロボロの家をそのまま「低家賃・原状復帰なし」という条件で、若いアーティストやデザイナーをターゲットに物件を貸し出し始めました。僕の事務所もこの地域にあり、もとの建物は倒産・夜逃げをした家具工場です。他にも、元鉄工所を現代アート作品の保管庫に、造船所跡をイベントスペースにするなどの動きが始まっています。

北加賀屋「千鳥文化」。現在は改装済のA 区画と、現状維持のB 区画が共存している
(写真:Yoshiro Masuda、http://www.chishimatochi.info/found/920-2/)

 僕自身は2018年に、築60年の集合住宅(文化住宅)を、地域住民やクリエイターが交流するコミュニティ施設「千鳥文化」として再生させるプロジェクトに携わりました。僕はこの施設の連帯保証人として、運営に関わっています。元の建物の1階は労働者のための喫茶店やバーで、2階が造船所の労働者のための住居。建設当時は現在の3分の1程度の大きさでしたが、船大工の手でそこからどんどん増改築され、図4のようなつぎはぎだらけの形になったようです。大地震が来たら一発で壊れる脆さですが、オーナーの千島土地の想いは「一時代の人々の暮らしの痕跡を刻んだ建物を、どうにか残していきたい」というものでした。そこで僕らは、地域のクリエイターとも議論を重ねながら活用法を考えていきました。工事自体は、ぐちゃぐちゃの構造を新しい構造体で丸ごと下から支えるような大規模なものになりましたが、なんとか無事に完成しました。

 1階は2層吹き抜けのアトリウム、食堂、バー、古材バンクという4つの機能で構成されています。アトリウムは無料ゾーンで、近所の人がふらっと来て本を読んだり、ごはんを食べたり、休んだりできる場所。食堂は近所の公園に子連れで遊びにくる若いママたちがランチをしたり、近所の高齢者がモーニングを食べに来る場所として。古材バンクは地域で出た廃材をもう一回売って、地域に流通させていくための場所です。2階は、1年に1人のアーティストを紹介するギャラリーにしました。

 無料のアトリウムをつくった理由は、地域の高齢者が孤立することなく気軽に会話や活動をできる場所を作りたいと思ったから。その背景には、僕の知り合いの工務店の人が経験した出来事があります。あるおばあちゃんの家のリフォームを発注された際、工事期間中におばあちゃんに別の場所に引っ越してもらったところ、認知症を発症されたそうです。僕はこれを聞いたとき、高齢化が進む現代においては、どこの地域でも起こりうる問題だと思った。同時に、もしも自分の家以外に街のなかに愛着がある居場所があれば、認知症がひどくならなかったかもしれないと思ったんです。また、バーでは地元の人たちとお酒を飲みながら、町の情報収集をしたり、未来について話をしています。僕の事務所のメンバーも週末は店に立っています。常連さんには、前科があって禁酒しているおじさんもいれば、話好きのおばさんも。箱を作るだけでは地域の人の顔も、本当のこの町らしさも見えてこなかったと思いますが、自分から町の中に入ることで、少しずついろんなことが見えてきました。

 また、先ほど「村の多層性」の話をしましたが、ここでも運営に関して、いろんな職業や立場の人が複雑にからみながら、地域の未来のために挑戦をしています。

小豆島「UMAKICAMP」での実践

 もうひとつ、非都市部の地域活性の例として小豆島での取り組みを紹介します。地方、特に離島での人口減少と高齢化はさらに深刻です。そこで2013年の瀬戸内国際芸術祭で、僕が主宰するdot architectの設計・施工で、島南東部の馬木地区に「UMAKICAMP」という地域の人のためのコミュニティスペースを自力で建てました。「誰もが家を建てられる」をコンセプトに、材料費わずか300万円で実現しています。

小豆島「UMAKI CAMP」(写真:Hideaki Hamada)

 建物はシンプルで、キッチン・パティオ・スタジオのたった3つの用途しかない建築です。先ほど話したイリイチの発想と同じで、僕らが考えた非常にアナログな工法で建てられています。図6は土台の柱ですが、掘立柱といって穴を開けて柱を挿していく工法です。屋根の構造も、ノコギリでまっすぐに切る技術、そこに穴を開けてボルトで留めたり、釘を打ったりする簡単な技術だけで構成されています。

「UMAKI CAMP」の柱の構造

 みんなは「家を自分で作れるわけがない!」と思うかもしれませんが、自分たちの技術で作れる工法を編み出せば、誰でも自力で自分たちのスペースを生み出すことができるんです。僕らはそれを伝えたかった。この構造で、役場の申請もきちんと通っています。もちろん箱の使い方がわからなければ、地域にとって意味はありません。そこで、地域の人たちと対話をしながら、地域の人々が互いにつながるための5つのコンテンツを作りました(ヤギを飼う・野菜を育てる・ラジオ局を作る・地域の写真、映像をアーカイブする・みんなで映画を撮る)。工事を始めた当初は地元の人はみんな怪訝な顔をしていたけれど、一生懸命毎日汗を流していると、人々がだんだん寄ってきて勝手に植物を植えてくれたり、下校途中の子どもが工作をしにきたり、新しいつながりが生まれていきました。今もこの場所は、地域の納涼会など、さまざまな形で活用されています。

「UMAKI CAMP」ご近所映画クラブより(写真:Hideaki Hamada)

 冒頭と繰り返しになりますが、これからの時代に多様性を生かしてデザインや地域活性を行うには、さまざまな立場の人の「ために」だけでなく、「共に」作り出すことが大切だと僕は考えます。その上で人任せにせず、自分自身が動き、自分ができる範囲で道具や材料を選び、使い方・運営方法を考えていく。そうして生まれたアイデアや場所は固定的、閉鎖的にせず、常に変化できる可能性と社会に開かれた状態を維持しながら、地域や人々の特性を発揮できる仕組みを加えていくと、よりよいものになっていくと思います。


家成俊勝 Ienari Toshikatsu
建築家。兵庫県出身。2004年より赤代武志氏と共に「dot architects」を共同主宰し、大阪・北加賀屋を拠点に活動。建築における設計、施工のプロセスにおいて専門家、非専門家に関わらず、さまざまな人々を巻き込む、超並列設計プロセスを実践。現場施工、アートプロジェクトなどの企画にも関わる。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授。


参考資料:
・猪瀬浩平「原発推進か、反対かではない選択―高知県窪川におけるほ場整備事業から考える―」『復興に抗する地域開発の経験と東日本大震災後の日本』(中田秀樹・高村竜平・編)有志社、2018年
・北川眞也「イタリア・ミラノにおける社会センターという自律空間の創造–社会的包摂と自律性の間で–『都市文化研究Vol.14』2012年
・イヴァン・イリイチ(渡辺京二・渡辺梨佐訳)『コンヴィヴィアリティのための道具』筑摩書房、2015年

※掲載内容は2018年5月1日の授業内容を元に、再編集したものです。